説明できるかできないか
今回のテーマは【説明できるかできないか】についてのお話したいと思います。
『指導者としての勉強って本当に本当に大事ですよね』という内容です。
先日、いつもお世話になっているトレーナーさんに、体のケアをしてもらっていた時の話なんですが。
選手時代に上手かった選手が、指導者した時になんでこんなんになるんや?みたいな話になりまして。
言うならば、「名選手、名指導者にあらず」についてですね。
いい指導者としての理想と現実がある中で、とてもいい話題でしたのでシェアしたいと思います。
説明できるか、できないかであるという仮説
色んな角度からそのことについて話し合いながらケアしてもらっていたわけですが。
結論「説明できるか、できないか」ではないかと。
自分がなぜ、現役の時にいいプレーをしていたのかが、理論的にわかっていて、説明できるか、できないか。
説明できると言うことは、なぜこうなるのかが分かっているということであり、分かっているので、説明できる。
ここが違いなのではないかと仮説が出たんですね。
選手時代に感覚でプレーしていた選手は、理論的に自分のプレーを説明できないのではないか。
自分で徹底的に考えてプレーしていた選手は自分のプレーを説明できるのではないか。
説明できることだけが、いい指導者の条件ではないですが、上手いチームの指導者はそうなのではないかと、そのケアしている時間ではそういう結論なりました。
海外ではサッカー選手として芽が出なかったもしくは、サッカー経験者ではない人が監督をする例も少なくない。
どの監督も努力し、勉強し、現場に立っていると思うのですが、やはり起こる現象の言語化であったり
現象のメカニズムを説明できることがその育ってきた環境のハンデ(元プロ出身という強烈なアドバンテージ)を乗り越えていく一つの要素なのでは?と考えるわけです。
現象について選手が理解していること
よく私も現場で、選手にゴールシーンや要所のいいプレーについて振り返りをさせたりします。
例えば、ゴールシーンの流れを思い出させて、誰がどう運んで、誰がサイドチェンジして、誰が切り込んで、誰がクロス上げて、誰がどう決めたのか。
その中で得点を取った要因となったプレーはなんだったのか?
クロスが良かったのか?
ドリブルが良かったのか?
シュートのポジショニングが良かったのか?
今でこそVEOというとてもいいカメラが出てきて、容易に振り返りや全体像見ながら得点の流れなどを共有できますが、現場ではやっぱり頭を使うという意味で思い出させて、なぜ得点が取れたのか?
を理解させる。
理解すると再現できる確率が上がります。
チームの連携など、イメージ共有もそうですが、チームの武器は再現できることだと考えています。
再現ができるということは、選手たちがこうなるというイメージが共有されていて、ここにボールが動く、そこに選手が動くというのが分かっているから、何度でも再現できる。
この再現性こそが、チームの武器なのではないかと。
少し話はそれましたが。。
サッカーという競技の理解、プレーの原理や技術の理論など、いわゆるサッカーを知っている選手なのかそうでないのか。
言い換えるとサッカーを理解していたかどうか。
選手時代で言うと、サッカーに興味があり、サッカーを知ろうとしていた選手は、指導者になっても上手い選手を輩出する可能性は高い。
自分は決して選手時代に理解していた方ではない(お恥ずかしい)ので、今でもいろんな形で勉強を続けています。
理解していること以外は教えることはできない。
理解しているから、教え方も変えることができる。
海外では、選手がコーチに質問するのが当たり前と言うことを聞きます。
自分は海外での指導経験がないので、想像でしかないのですが。
コーチは知っているのが当たり前で、分かっていなければコーチではないと言う認識なのではないか。
分かるまで聞く。
これはごく当たり前のこと。
説明力不足。
分かってないから、理解してないから動けないのは当然ですよね。
日本のサッカーの育成のところにある根深い問題はそこにあるのではないかなと思ってます。
自分もその中にいる1人の指導者として向き合っていかなくてはと考える日々です。