運が良かったというフレーズについて考える
今回のテーマは【運が良かったというフレーズについて考える】についてのお話したいと思います。今回は『言える人と言えない人が分かれるよ。あなたは言える人ですか?』という内容です。
これは、カントク(岩谷篤人氏)が言っていた望月世代の野洲高校時の話です。
私は当時望月世代の1年を見届けてから、カントクと入れ替わり野洲高校の外部コーチを引き受けることになりました。
本当は、入れ替わりで交代でコーチ就任という形で要請されたのですが、望月世代が私のセゾンでの指導のスタートだった思い出があるのと見届けたいという想い。
そして一番は、監督の野洲高校での仕事をこの目でしっかりと見て学びたいと思ったから1年前倒しで外部コーチをやらせてもらいました。
当時は担当が1年生で、自分達の練習が終わればトップのチームの選手たちと同並びで指導を聞く日々。その後セゾンの選手たちの指導ととても充実していました。
彼らが目指したものとは
彼らの結果は、皆さんがご存知の通りです。
彼らが目指したものは優勝・日本一ではなく、日本のサッカーの未来を示すということが彼らの使命でした。
これまでの彼らの歩みとカントクの指導の極みを近くで見てきて、当時思ったことはこれ以上の努力が存在するのか?という想い。
怪我やチームの危機もありましたが、それを考慮しても隙のない、計算された指導とそれを乗り越えてきた選手たちがいて、過ごした時間は濃密でやり残したことはないと側から見ている私が思うくらいの時間を過ごしてきました。
ありきたりな言葉ですが、「やり残したことはない」と言えると私は思っています。
野洲高校時代が終わってからしばらくしてから、監督から野洲高校の時の話を聞くことができました。
それを聞いても今でもなぜ勝てなかったのかは疑問が残るのですが、私の頭によぎったのはこの言葉でした。
『運がなかった』
一言で片付けられるものでは到底ありませんが、この言葉がピタリとあたる言葉でした。
運がなかったと言えるのは
運がなかったという言葉は、至る所で聞くことができます。
スポーツ界、いや、ビジネスの世界やどんな世界でも聞く言葉ですが、この言葉が言える人・チームは少ないのではないかと思うのです。
軽々しくいう言葉ではない。
野洲高校の彼らぐらい本気で努力し、想いを共有して進んできた彼らだから言える言葉ではないのか。
本当にあらゆる可能性を考えて、妥協のないトレーニングをし、肉体を追い込み、出てくる難題を突破し続けた彼らでさえ成し遂げられなかった目標。
本当にギリギリまで突き詰めた。
そんな彼らだから、やり切った・やり尽くした彼らだから最後の最後の結果として「運がなかった」と言えるのではないか。
この瞬間、今まで自分が使ってきた言葉の中で、一番恥ずかしい言葉になりました。
あれから自分が「運がなかった」と口にすることは無くなりました。
まだまだ妥協している自分がいることを知れたこと、自分に問うことがとても多くなりました。
自分の中で「選手から学ぶ」というカントクの教えがありますが、ここでも望月達から学んだことが自分の中では確実に埋め込まれています。
彼らの突き詰め方を知っているから。
まだやり残していることがあることを知っているから。
もちろん育成年代の指導者ですから、育成年代での完璧な選手というのはあり得ない。
今の自分に問うべきものはこれなのではないかと思います。
今のチームに問うべきものはこれなのではないかと思います。
今までの自分の指導者人生の中で、選手から学ぶと言うことがどれほど大事か身に染みて感じます。