本日はトレーニング。
練習の中で感じたことを綴ります。
ジュニアユースの年代は、勘違いがとても多くなる年代。
ちょっと上手くなって、天狗になったりとかね。
技術の積み重ねが出来てきて、実感も湧き出すと「あ、俺上手いんちゃうん?」と鼻がニョキニョキ
今日はそんな奴を怒る!ではなくて、ここは区別しないと、悪い方にいくぞという話です。
【できた】と【できる】の違い
私の考える【できる】は、10回やったら10回成功するということ。
もう一回やれって言われたら、できることを指す。
例えば、リフティング1000回出来たぞ!って言ってきたサッカー少年がいたとして、
「そうか!すごいな!!ほな目の前でやってみてぇ!」
って言って、目の前でやってのける。
これが【できる】目安になる。
仮にその場で出来なかったとしても、リフティングで1000回行く選手のリフティングって出来ない選手のものとはやっぱり違う。
だからその場で出来てなくても、面白おかしく「出来ひんやんけー」といじりながらも、心の中ではこの選手はたくさん家で練習したんやろうなぁと思う。
【できる】の基準がわかったところで話を戻して
一回できたことが、できると勘違いすることはとても多いということ。
また、一回できたことが、一か八かだったのならまた手癖が悪い。
手癖が悪いのは、できたことが癖になって、何度もそれを繰り出してしまうこともしばしばあります。
例えば、股抜きとか。
指導者としての股抜きの評価は実は難しく、悪い意味で私は麻薬と呼んでいます。
ちゃんと股を開けさせるフェイントが入っていたり、見えていた中で行う股抜きは評価できますが、
危険が迫っている中で、一か八かの股抜きは少々タチが悪い。
危険から脱するために、一か八かやった股抜きが綺麗に成功してしまうとそれが病みつきになるんですね。
で、危険になる度に股抜きを繰り返す行為を麻薬と呼ぶわけです。
また脱線してしまった。
いろんなチャレンジを選手は練習の中でしていて、1回できたこと=できると言う構図の
勘違いはしっかり区分できるようにしておきたいんですね。
10回中10回できる。
仮に9回できて1回ミスしたら、それはケアレスミスと見ます。
皆さんの中で、できると言う基準はどこにありますか?
自信と過信(天狗)は紙一重なんですが、間違った解釈をすると良くないよと言う話でした。
最後まで読んでいただき、有り難うございます。